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サディアのブログ :

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Baladi - LA, LA, LA

2018-01-08 at 18:25PM

 

BALADI – LA, LA, LA

バラディー、ラ,ラ、ラ。

 

 

親愛なるダンサー、生徒さん、そして私のお友達の皆さんへ

 

音楽は常に論理的な物です。明確に出来ており、正確なタイミングを以て聞き手の感情を喚起します。それぞれの音楽は演奏とアレンジメントによって練り上げられた複合的なエネルギーと、雰囲気を持っています。ダンスは音楽に沿って踊られるもので、だからこそ意味を成します。その音楽を真に翻訳するようなダンスを踊るためには、各自の音楽が持つ雰囲気とエネルギーに沿って表現しなければなりません。ダンサーが音楽を創り出すわけではないのです。ダンサーは音楽を視覚化する存在です。音の持つ意味と、音楽の背後の感情を観客に伝えるため、ダンサーは体を楽器として用います。言い換えれば、ダンサーの仕事は観客の為に音楽の意味を伝えることだと言えるでしょう。

 

残念ながら、今日私が見る多くのオリエンタルダンスのパフォーマンスは、そのコンテクストにおいて意味を為していません。これまで何度も、高価な衣装を着て美しく技術に優れたダンサーが、全く自分の仕事を理解していないという光景を目にして来ました。人々はこのようなダンサーを褒めたたえますが、それは彼らが、そのダンサーと同じ様に、音楽に対する適切な応えというものを解っていないからです。

どうしてでしょうか。

私が思うに、理由の一つは多くの「先生」が(例え有名でも)自分が教えている分野を理解していないからです。もっと言うと、生徒は先生の教えることを疑わずに従ってしまうので、音楽に対する正確な理解を全くしないで、生徒と先生が一緒になって停滞し続けてしまうのです。

もう一つ理由を挙げると、今日の生徒の方々がYou Tubeをあまりにも沢山見ていることです。良いダンスビデオの10〜20倍もの数の下手な解釈のダンスビデオを見て、良い方を下手な方だと勘違いしてしまうのです!生徒さんにとってはややこしいことです。アラブ音楽に対する理解のないダンサーを見れば見る程、勉強中の皆さんはどうすればいいのかわけがわからなくなってしまいます。

 


有名なダンサーだからといって,音楽センスに優れていて音楽のフィーリングを表現する能力があるとは限りませんが、人気があれば人は彼女達を真似てしまいます。誤った理解、誤った知識、そして誤った認識がどんどん広まって、今では真実に芸術的な音楽解釈よりも間違った解釈の方が多く見られる程です。

ワークショップのプロモーター、先生方、そしてミュージシャンまでもが声を上げることを恐れていますが、それはベリーダンス業界の金のなる木を保ち続けることの方を遥かに気にしているからです。

生徒の方々は流行のダンサーの名前を全部覚えていて全く同じ動きを真似することが出来ますが、本物のダンスのエッセンスは彼女達の手から零れ落ちていきます。

私がいつも生徒たちに勧めるのは、YouTubeを見るのならベリーダンスが一般的に人気になる前(ベリーダンス・スーパースターズの出現の前、1990年代初頭頃までが確実でしょうか)のビデオを見ること、そして批評的な目で見ることです。(昔のダンサーだからといって素晴らしいダンサーとは限りません。)特に注意深く見るように伝える部分としては、ダンサーがどんな風に音楽を使って、どんな風に表現を展開させていっていたかということ、そしてどんなに精妙な動きをしていたか、どんなに力強く、優雅に、そしてごく自然に、洗練された芸術性を発揮していたか、といった部分です。それがベリーダンスだからです!単にポーズしたり、美しさを見せびらかしたり、セクシーに見せようとする代りに、音楽を忠実に表現してみせていたダンサー達こそが(訳者補足:ベリーダンサーだからです)。彼女達は皆、自分自身の美しさとか、名声とか、真新しい奇抜な衣装のことではなくて、音楽が語る物語を観客に伝えていました。それぞれのダンサーが、自分らしい音楽解釈を創り出すために独創的なアプローチを行っていました。型で抜いたクッキーよろしく、お互いにそっくり同じステップを同じ様に踊るダンサー達とはまるで違っていました。それにダンサーが圧倒的な技術の持ち主だとしても、音楽に合うかどうかも構わず素晴らしい動きを見せびらかすことは決してありませんでした。技術は常に、相応しい動きで音楽を翻訳するためのものだったのです。

 

オリエンタルダンスにおける音楽の解釈は自由なもので、良い表現も良く無い表現と同じ位に多様です。ダンサーが音楽の勉強が十分出来ていないとハッキリわかってしまうのは、動きのスタイルと音楽が合っていない時です。最近一番良く目にするのはこうしたケースで、私がダンサーに「動きが音楽を表現出来ていない」と言うと「新しいスタイル」といった様なことを言われます。ですが、私に言えるのは「スタイル」は一つしかない、ということです。それはあなたが踊っている音楽が持つスタイルです。もし音楽のスタイルに似合わない動きやテクニックを使用したいと思うのであれば、違う音楽を選びましょう。古典曲で踊るなら、古典の動きを選ばなければなりません。ベリーダンスはごちゃ混ぜ寄せ集めのバイキング料理とは違います。いくら多くの人がそういう物にしようとしてもです。学びと鍛錬に欠けたダンサーは、より音楽性と文化的な理解を備えたダンサーはしないようなステップや動きを選んでしまいます。それでいて知識の乏しさを「独創性」と言い張って隠そうとします。そう言えば音楽を無視して好きなように踊る言い訳が得られると思っているようですが、これはごまかしに過ぎません。

非常に困るのは、彼女達の愚かさに対して、批評出来る程の専門知識も持たない人々から大変な数の賞賛が寄せられていることです。そうして無知が更なる無知を呼び、回り回って、見ていて目眩を起こしそうな程です。もしあなたがバラディータクシーム(バラディープログレッション、アコーディオンバラディーとも呼ばれます)を踊るならその分野に相応しい表現をしなければいけませんし、他のダンスから動きを借りるものではありません。イラキスタイルのヘッド・トスをしたり、キックボールチェンジ、ダブケの足踏み、仏頂面をしたり、胃痛のようにお腹を押さえたり、シャッセをしたり、背泳ぎのように腕をブンブン回したり、大げさに上半身スウェイをしたり、スピンを重ねたり、スプリットしたり、床を転がり回ったり、拳を握ったり、エネルギーを外向きに爆発させたり、するものではありません。短く言えば、バラディーではないことは止めましょう。簡単なことです。ただ、音楽と一体化して下さい。

何をしても自由なんですよ。と彼らはあなたに嘘をついたのでしょう。何をしてもいい、というのは違います!それに何一つ「新しい」などということはありません。それもまた嘘です。

スタイルは音楽の中にあります。正しく音楽を視覚化しようとするのであれば、新しい動きか古い動きかといった疑問は湧いてきません。音楽の解釈として、より相応しい動きかどうか、という疑問だけが出てくる筈です。

バラディータクシームはオリエンタルダンスの中でも最も難しい分野の一つです。本当に上手に踊ることができるダンサーは殆ど居ません。今日のダンサーの殆どがバラディーを踊ろうとするのは、私には見ていて痛々しい光景です。彼女達は上手なダンサーかも知れませんが、とても貧しいパフォーマンスになっています。音楽のコンテクストにおいて意味不明な動きを沢山見たので、全てを挙げることは出来ませんが、総じて一番言えることは「踊り過ぎ」ということです。

 

 


一つ目、彼女達は自分に出来る技術を見せようとし過ぎです。観客を圧倒しよう、テクニックで「凄い!」と言わしめようとしています。悲しいことに、特にタクシームではフィーリングの方がより大切だということを忘れているか、もしくは知らない様子です。


二つ目、彼らの音楽への応え方はわざとらしく、そして大げさ過ぎます。パフォーマンスはまっさらで正直なものです。あなたが気持ちを偽って、劇的に見せようと頑張っていれば、それは見ていて分かります。また大きければ大きいほど良いとは限りません。動きを抑制し操ることで動きに張りつめた高揚感が生まれます。それがタクシームの美味しい部分なのになくなってしまっています。バラディータクシームの展開の一つは、緊張感と高揚感を保ちながら徐々に盛り上がり、遊ぶ様に掛け合い、最後の解放の瞬間に到達するというものです。このような展開がタクシームの間に繰り返され、また次の展開へと繋がっていきます。

三つ目、動きの適切な展開のさせ方、繋ぎ方が分かっていません。次から次へと、関連性もなく違う動きを繰り出すのはただのハードなエクササイズに過ぎず、何も伝わってこないので面白くありません。バラディータクシームは、タクシームを通して盛り上がっては落ち、そしてクレッシェンドへと到達していく音楽と共に感情を揺さぶるものです。

四つ目、エネルギーの使い方と焦点を当てる部分が間違っています。もう一度言いますが、全ては音楽に合っていなければなりません。バラディータクシームでは主に内側に焦点を当てており、精妙でありながら力強いエネルギーがあります。

五つ目に、彼女達は音楽を内面化するところまで到達していません。まるで彼女達が泡の中に浮かんでいて、音楽は別の泡の中に隔離されているようです.ダンサーの中から音楽が溢れてくるようには感じられず、寧ろたまたま流れている音楽に合わせて踊っているように見えます。

 


私はこのようなパフォーマンスを見ても楽しめず、感動出来ず、そして満足できません。端的に言って知識の無さだけではなく、情緒的な感性に欠けていることにガッカリします。

私には彼女達がどんなに自分の踊りに自信を持っているかが分かります。彼女達は自分たちは専門家だと思っていますが、私が見ると音楽への応え方はあまりに的外れです。オリエンタルダンスは、特にバラディータクシームは生き延びることはできるのだろうかと頭を振って考え込んでしまいます。こうしたダンサー達は適切な訓練に欠けていますが、それでも自分たちはこのダンスを理解していると思い込んでいます。どうしてこんな風になってしまったのでしょうか?「先生」達は不適切なテクニックを教え込んでそれを「新しいスタイル」と呼んでいます。全く馬鹿げています。

 

時々Face Bookで、バラディータクシームというタイトルの誰かのビデオを目にします。無音で見ても、次々に間違いが目に入ります。全く音を流さなくても、そのダンサーがバラディーを踊れるかどうかは分かります。エネルギーが不適切です。動きが不適切です。そのスタイルはバラディーではないし、バラディーであったこともないし、これからもバラディーにはなりません。

もう一度、今度は音を出して見てみます。・・ビデオを止めます。怒りたくないからです。

彼女達は本当に自信に満ちていますし、また沢山の賞賛を受けています。けれども彼女達は適切な音楽の体現とはかけ離れています。近しいところさえ見当たりません。本物のバラディーではないのです。

私は泣けば良いのか、叫べば良いのかわかりません。だから代りに、皆さんへこの記事を書こうと思いました。ダンサー、生徒さん、そして私のお友達の皆さんへ、一つ提案をしたかったのです。インターネットや、名声や、お金や、そして西洋的な価値観に影響される前の時代から沢山学びましょう。

そしてバラディーを踊りたいと思うなら、本物の先生から本物のバラディーを学んで下さい。

 

サディア









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